まぐの文章練習

現在大学2年。文章を書く練習のためのブログなので大した内容ではありません。不定期投稿。

当たり前なものの価値

あぁ疲れた。今日はギャラリー巡りをしてきてたくさん歩いたので、足が痛い...。

 

もともとアートとかには微塵も興味がなかったが、最近なぜかギャラリー運営をちょっとだけすることになったので、ギャラリーに行く機会が増えた。

 

いやしかし、行ってみるとこれがまた面白かったりする。面白いというより、刺激がある、という言い方がいいかな。

 

無論僕は絵や美術作品は全くの素人だし、高校の美術の成績も5段階中2とかだった気がする。けれど誰かの魂がこもった作品をみると、圧倒される。

 

何がすごいとかはわからなくても、作品からパワーを感じて、後退りしてしまいそうになる。こんな感覚があるんだけど、伝わるだろうか。

アート、意外と面白い。

 

とまあ前置きが長くなったが、今日はそれとは別の話をしたい。

当たり前なものの価値を大事にしたいね、みたいな話だ。

 

今日、出かけようと家から最寄り駅まで歩いていたら、すれ違った女性がいきなり(スマホの)カメラを構え出した。

 

一体何を撮るんだと思った。

そこは車通りの多い大きな道路で、写真に収めるような景色なんてないだろうと。

 

そんなことを思いながら女性が撮ろうとしている側へ振り返ってみると、遠くにビル群が見えた。

 

その大きな道路は遠くまで続いていて、特にそのあたりは緩やかで長い坂の頂上あたりだったので、随分と遠くまで望むことができた。

 

なるほど、これを撮ろうとしていたのか。妙に腑に落ちた。

 

実際にはわからない。女性は別のところをとっていたかもしれないし、もしかするとそもそも写真を撮ろうとしていたわけではなかったかもしれない。けれどこの景色なら、まあ撮ってもいいかも知れない、と思った。

 

何が言いたいかというと、あまりに慣れすぎて、その価値を感じれていないものってあるよね、みたいな話だ。

 

その道は無論幾度となく通っていて、その景色も見慣れている。いや、普段その道を歩く時はせいぜい数十メートル前までしかみないので、実は見慣れていないかも知れない。

...まあそれはさておき、微塵も気にはしていなかった。

 

しかしちゃんとみてみると、これはこれでなかなかだ。長く続く道の先に、ビルが並ぶ都会らしい風景があるのは悪くなかった。

 

ではなぜ女性がカメラを向けるまで気づかなかったのか。それは慣れているからだろう。あまりに慣れていると、人はその価値を見失う。

 

大袈裟に聞こえるかも知れないが、きっかけなんてなんでもいいのだ。その光景を見て、僕はそんなことを思った。

 

他にも普段気にしていない当たり前の中に、かけがえのない価値が潜んでいたりするのだろう。それは人間関係かも知れないし、日々の生活かも知れないし、見慣れた街の景色かも知れない。今後はもう少しそんなことに気を配って生きてみようかなあ、なんて思った。

明日には忘れていそうだけど。